無題


    ステージの幕が開く。盛大な拍手の中、曲が流れはじめる。私たちの桜藤祭が幕を開けた瞬間だった。
    緊張は無かったと言えば嘘になる。でも、この緊張感が心地良い。まるで自分のじゃないみたいに体が軽い。
    大勢が見ているのに、私たちはきっと、観客そっちのけで、楽しんでいたのだと思う。
    まぶしい照明も、観客の歓声もまったく気にならないほど、私たちは私たちの作る世界の中に入り込んでいた。
    このまま、これが続けばいいのに。誰もが共通の想いを抱いていたかは定かではない。でも私は、みんながその想いを共有していたと信じている。
    最後のポーズが決まる。曲がフェードアウト。観客は静まりかえっていた。聞こえるのは、私の心臓の鼓動と、みんなの息づかい。どこまでも静かで、本当に時間が止まってしまったかのように錯覚した時、体育館が爆発したのではないかと思うほど、溢れそうな拍手と、喝采に私たちは包まれた。

「ゆたか、どうしたの? すごく楽しそうな顔してるけど」

「ふぇ? え?」

    帰宅途中のバス停の前。みなみちゃんの声が私に届き、私はハッと顔を上げた。
    思い出し笑いをしていた、私の眼前には、私の顔を左斜め上からのぞき込む、みなみちゃんの顔があって、私は二重に驚き、無様にも素っ頓狂な声を上げていた。
    おそらく真っ赤に染まっているだろう顔を、これでもかという風にぶんぶんと振って、私は一つ大きな息を吐く。

「おどろかせて・・・・・・ごめん」

    他人では、おそらくわからないような、変化だったけど、みなみちゃんは本当に申し訳なさそうに、顔をうつむかせた。

「ん〜ん。私の方こそゴメンね。みなみのちゃんの所為じゃないよ。ちょっと、桜藤祭のことを思い出していたの」

「桜藤祭の時のこと?」

    桜藤祭は、私たちが通っている高校で催された文化祭のことだ。そこで私は、自身初となる一大イベントをこなしたのだ。

「うん。今でも信じられないよ。私たちで、ステージに立って、チアをやって、すごく怖くて、ドキドキして、恥ずかしかったけど、とっても楽しかった」

「私は、今でも思い出すと恥ずかしいけど・・・・・・」

    みなみちゃんは、桜藤祭の時の自分の姿を思い出したのか、さっきの私と同じように、あっという間に顔を真っ赤にして、俯いてしまった。
    あのあとのクラスの追求は凄いと言うより、凄まじいが合っているかもしれない。クラスの中でも凛としていて、クールで格好いいイメージのあるみなみちゃんが、チアをしたという衝撃は、その人柄をよく知らない他人からしてみれば、想像を絶するものがあったんだと思う。
    クラスの出し物に戻ったときには質問攻めで、みなみちゃんはちょうど今のような感じで、顔を俯かせていた。
    不謹慎かもしれないけど、この時のみなみちゃんは、格好いいというイメージから一転して、とてもかわいい。
    それがわかる自分は少し優越感を感じる。

    ただ、ちょっと残念だけど、比較的初めの方から、みなみちゃんの些細な表情の変化を読み取ることが出来た私のアドヴァンテージが、実を言うと、今は全くなかったりすること。
    田村さんも、パティちゃんも、みなみちゃんと一緒にいる時間が増えるようになって、第一印象は大きく塗り変わっていった。だから、今はそんな垣根はなくて、私たちは仲良しさんなのだ。

    みんなとそんな関係になるぐらいいろいろあって、桜藤祭を迎えて、それからまたしばらく経った。
    桜藤祭のあとにはテスト。この時期は、良かれ悪かれいろいろなイベントが目白押しだったからだろうか、秋は足早に過ぎて、あっという間に冬を迎えたような気がする。
    体が弱い私とって冬は天敵だったりするので、少し苦手だったり。
    だから、朝は暖かい布団がとても恋しくて、夜は炬燵が友になっている。そんなささやかな幸せを味わえる季節。
    でも冬の空気は好き。とても澄んでいて、吸い込むとキュッと身が締まる思いがする。なにより、私、小早川ゆたかは、その透明な冬の匂いが、大好きなのだ。

    糟日部駅へ向かうスクールバスは、電車で下校する学生で、そこそこ賑わっていた。
    時期が時期なので、車内はこれからもうすぐ訪れる冬休みやクリスマス、年末年始の話題やこれからの受験シーズンの話で持ちきりだ。
    特にクリスマスの話は、辺り構わず飛び交っていて、彼氏彼女の事情から、普通にクリスマス会の話が圧倒的で、私もその喧噪に包まれながら、漠然と「クリスマス会をみんなとやりたいなぁ」と考えていた。
    車窓から見える風景は、街灯以外あまりない。あたりはもう真っ暗で、バスから漏れ出す光だけが、私に見える世界を切り取っていた。
    あとは窓の映る私の顔と、隣で読書をしているみなみちゃんが朧気に在るだけ。
    12月ともなると日が落ちるのが早く、下校の時間には、日が落ち始め、あっという間に夜が忍び寄ってくる。
    いつもなら、この場にこなたお姉ちゃんや田村さんやパティちゃんもいるのだけれど、みなみちゃんの保健委員の仕事に付き合っていたら、こんな時間になっていたのだ。
    こなたお姉ちゃんは、もう家に帰っていて、田村さんは

「一緒に帰りたいのは山々っすけど、冬コミのコピ本の追い込みがきつくてきつくて、ってか帰っちゃおうかな〜なんて、先輩冗談ですよ? 冗談!! いややめてグレンカイナとかいいですから!! 二重の極み? あああああああああああああああ―――――――――――――――――――」

    と、部室の奥に消えていった。私には怖くて見に行けなかった。
    パティちゃんは

「ごめんなさ〜い。今日は、短期のアルバイトが入っているので〜す。今夜は楽しいバイトになりそうですよ〜☆」

と文章じゃなくて、台詞の節々にも実際に☆が浮かんでいるような話し方で、嬉々として飛び出して言ってしまった。
    そのことを思い出しながら、正直、少し寂しいと感じながら、私は溜息をつく。そして、また視線を窓に戻すと、読書をしていたはずのみなみちゃんと、窓越しに目があった。

「・・・・・・ごめんゆたか。退屈だった?」

    みなみちゃんが悪くはないのに、そんなに気にしてくれたことに恐縮してしまう。意外に、そういうところで損をしていると思うのは私だけだろうか。それでも、みなみちゃんのこういう気配りはとてもありがたくて、私は自然と笑顔になれた。

「ううん大丈夫だよ。気にしてくれて、ありがとうみなみちゃん」

    「うん」と頷いて、みなみちゃんは、読んでいた本を閉じてしまう。

「もう読書はいいの?    私のことは気にしなくていいよ?」

「大丈夫。ちょうどさっき読み終わったから」

    そう言われて、私はほっと胸をなで下ろす。

「そういえば、みなみちゃん、最近ずっとその本を読んでたよね。おもしろかった?」

「うん。みゆきさんに薦められて読んだんだけど、とても面白かった。今度、ゆたかも読んでみる?」

「高良先輩のお墨付きなんだ。私も読んでみようかな。でも、いいの?」

「うん。でも次はお母さんが読みたいって言っていたから、その後になるけど・・・・・・」

    申し訳なさそうに、みなみちゃんは頭を垂れた。

「ううん。全然大丈夫だよ」

「なるべく早く読んでもらうようにするから・・・・・・」

「気持ちだけでいいよ。みなみちゃんのお母さんにも悪いし」

    流石にそこまでやってもらうには気が引けるから、私は身振り手振りで、申し訳ない気持ちを表現する。それが何とか、みなみちゃんに伝わって

「ごめん。ありがとう」

    とみなみちゃんは、そう言って、本を鞄にしまった。それでも「なるべくはやくするから」と、どこまでも、気を遣ってくれるのだ。

「でも、バスに乗りながら読書できるなんて凄いね。私は乗り物酔いしやすいから、本とかはちょっとダメかも」

    体が弱いというのが直接の原因かはよくわからないが、比較的乗り物酔いもしやすい。普通に乗っていて、意識しなければ平気だけど、下を向いて本を読んでいると、次第に気分が悪くなってしまう。

「私はただ、本を読むのに、集中しすぎているからかもしれない」

「あっ本を読んで集中って言うと、こなたお姉ちゃんが、高良先輩は本を読んでいると、集中しすぎて周りの声とか聞こえないんだって」

「ふふ。みゆきさんらしい。あの人は、本があれば乗り物酔いは、関係ないかも・・・・・・」

「あはは。そうかも。あと乗り物酔いにならないように意識すると、逆にすぐ気分悪くなるんだってね」

「じゃあ、この話題は止めた方がいいんじゃ・・・・・・」

「え? あ・・・・・・そうだね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

    それから、気まずい空気が流れて、会話が途切れてしまった。

    私が自分で振り始めた話題を自滅で潰してしまうのだから、世話がないと思う。この気まずい空気を何とかしたくて、いろいろ話題を探す。
    冬休みの予定、クリスマス、初詣。話題なんて事欠かないはずなのに、何を言おうか全然言葉にならなくて、なんと言って切り出そうか迷って、ただただ焦って時間ばかりが過ぎていく。
    何か言葉を、せめてこの気まずい空気を何とかしようとしても、口だけが金魚みたいにパクパク動くだけで、意味のない音の羅列だけが、漏れるだけだった。
    実際には1分も経っていない。ただ焦っている時間だけが、何分にも何十分にも感じられていたとき

「でも最近、ゆたかは体調が良いよね。いい傾向だと思う」

    みなみちゃんは、そうぽつっと口にした。
    私がそれに何かしらの返答をするよりも早く、みなみちゃんは次の言葉を紡ぐ。

「桜藤祭で、ゆたかがチアをやるって決めたとき、私、本当は凄く不安だった。練習中とか、もしかしたら本番かもしれない、ゆたかが、いきなり倒れるんじゃないかって」

    みなみちゃんは、顔を俯かせていて、その表情は読み取ることが出来ない。ただ、とても心配させてしまったことだけは確かなことなのだ。
    私の我が儘で、もしかしたら思っている以上に、私はみなみちゃんの負担だったのかもしれない。そう考えると胸が軋むように痛む。

「でも、練習が進んで、リハーサルで初めて通しで成功して、ゆたかの嬉しそうな顔を見たら、私の不安なんて、全部杞憂だったんだって気づいた。ゆたかは、初めて私と会ったときよりも、ずっと強くなっているんだって」

「ううん。私はいつも迷惑ばかりかけて・・・・・・」

    そう言おうと思ったのを、みなみちゃんは私の口を手で遮って、首を横に振った。

「迷惑なんかじゃない。普通なら絶対にやろうと思わないことを、ゆたかは積極的に取り組もうとしてる、努力もしてる。そんな前向きな姿勢がきっと、ゆたかの強さだから、もっと自信を持って」

    みなみちゃんは、そう言って優しい笑顔を私に向けた。

「・・・・・・ありがとう、みなみちゃん」

    それ以上の言葉が出なかった。でも、それ以上の言葉はいらなかったと思う。
私も精一杯の笑顔を向ける。嬉しくて、泣きそうだったけど、ここは笑うところだから。

「うん。私もゆたかに救われているところがいっぱいあるから、私の方こそありがとう」

    ここで、私の瞳のダムは決壊してしまった。バスが駅に着くまで、私はみなみちゃんの胸に顔を埋めていた。暖かいものが、私の体を満たしていた。

    バスを降りる頃には、大分落ち着いていた。
    そのまま駅に向かう途中で、ふと携帯を開くと、こなたお姉ちゃんから、メールが届いていた。何かと思い、メールを開く。
    内容は
    
件名:お買い物お願い
本文:明日発売の本が早売りしているから買ってきてちょうだい。
            お金は後払いでw
            タイトルは―――――――――――――――――――――
            
    ということで、漫画本のお使いを頼まれてしまった。

「ゆたかゴメン。保健委員の仕事もやってもらって、本当は一緒に付き合った方が、いろいろと都合が良いんだけど、私もちょっと帰らないといけないから」

「ううん。気持ちだけで十分だよ。今日は本当にありがとう」

    手を振って、駅でみなみちゃんと別れる。みなみちゃんが人混みに紛れて、駅のホームに吸い込まれて見えなくなった頃に、私も駅を後にして本屋に向かった。

「ありがとうございました」

    という店員の声に、気まずい空気と、決してありがたくない温かな視線をミックスしたようなものに後押しされて、私は飛び出すように本屋を後にした。
    真っ赤で熱くなった顔がひんやりと冷される。こなたお姉ちゃんに頼まれた本は、あろう事かBLの漫画だった。
    今から約十分前、本屋に入って私は、すぐさま新刊コーナーに向かう。なにげなく、そこに平積みされていた、目的の本を手に取り、そのままUターンして会計に向かった。
    その本を手渡したときのレジの人(アルバイトの男性)の顔は忘れようにも忘れられない。
    一瞬、能面みたいに無表情になったのだ。そして、本のタイトルと私の顔の間を視線が行き来する。そのあとに、あり得ない物を見たと言う風に、驚愕していた。
    そんな店員をやっと怪訝に思った私は、その時まで気にもしなかった本の表紙を見ることになる。
    当然、私も凍り付いた。その本は大凡、私が手に取るような本ではなかったからだ。気の弱そうな男の子の顎を、格好良く描かれている男性が指で持ち上げ、熱い視線を交わし合っている。そんな表紙の漫画だ。
    その時点で私の頭は熱暴走を起こしていたので、詳しくは思い出せない。タイトルも出来れば忘れたい。
    急いでお金を払おうとして手が震えて、小銭を床に落として、どうしようもなくなった私は、今度は千円札を出して、次は札入れの方に入れていたクーポンが散乱した。
    財布に入れるのも出来なくて、私はおつり諸共、ひったくるようにして鞄にしまい、本屋を飛び出して今に至る。
    ドア越しに見える店員の会話が、私のことを話しているような気がして、ものすごい羞恥心にかられた。もうこの本屋は使えない。
    せめてこれが、アニ○イトやゲー○ーズだったらと思うと悔やまれる、と思ってしまった私は、もうかなり同居人の影響を受けているんだろう。
    それがどういう意味をなしているかは、考えないとことにして、私はその思考を頭の隅に追いやった。そして、とりあえずこなたお姉ちゃんに、非難のメールをすることにした。

    糟日部駅から乗車して、目的の駅まで約15分程度の電車の旅。大勢の乗客などで賑わう車内。その多くは帰宅途中の学生やサラリーマン。
    乗車口の前を今日の自分の場所にして、私は天井に伸びる手すりに掴まった。
    時折大きく振動する電車に揺られながら、私は流れる景色をただぼんやりと眺めている。半年以上の通学によって見慣れた風景。
    不意にポケットの中の携帯がふるえた。私は周囲が優先席付近ではないことを今一度確認して、携帯を開く。そのメールは、こなたお姉ちゃんからのお詫びのメールだった。
    手早く、そのことを気にしてないと言う旨の文章を作り、返信して再び視線を外に戻す。
    聞こえて来るのは、耳から漏れるウォークマンの音楽。おじいさんの読んでいる夕刊の紙の擦れる音。仕事帰り、疲れて眠っている中年男性の寝息。友達同士の会話。車掌のアナウンス。
    一年前の今頃には、想像でしかなかった風景。それを現実に、私は体感していた。
    電車が止まり、乗車口が開いた。疎らに降りる人の中に紛れて、私はホームへと向かい、いつものように定期を使い、自転車置き場に向かった。
    空を見上げれば、満天の星空で、その中でひときわ目立っていたオリオン座は、すぐに見つけることが出来た。冬の澄んだ空気は、はっきりと私に星の光を届かせてくれる。
    ふと私は、一年前の予備校から帰るときに見上げた時も、オリオン座を見つけたことを思い出した。

    一年前の私は、まだ高校受験を控える一人の受験生だった。帰ってきた予備校の模試の結果は、悪くない程度の物だったけど、第一志望の陵桜学園の判定は芳しくない物だった。同じ学校の志望者の中での順位は、ちょうど真ん中と言ったところか。
    その代わりに、私の学区で合格圏内の高校が並び、それを見て私は溜息をついたのだ。



つづく






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