私の幻想郷縁起


    幻想郷縁起というものがある。稗田家が定期的に人々の生活を脅かす妖怪についてその対処法を記した書物が『幻想郷縁起』である。幻想郷縁起は代々、阿礼の子孫であり、その生まれ変わりである阿一の代から、代々その阿礼の生まれ変わりの子供達が纏めている。
    九代目阿礼乙女である私も、その例に漏れず、幻想郷縁起を纏め続ける義務があり、今日もそれを纏める為に、日夜幻想郷を歩き回っている。

「阿求様。いってらっしゃいませ」

    玄関までの廊下を、老若男女問わず使用人達が、端にずらりと並び、私が彼らを通り過ぎるたびに、その頭を恭しく下げていく。それが、私が生まれ、育ち、稗田家の当主になっても、欠かさず行われている習慣。
    昔は慌てて、いちいち一人一人に会釈を返していたものだけど、今は手間も時間もかかるような、そんな無益なことはしないことにした。
    彼らからすれば、私が屋敷を出るまでそこに居続けなければならないのだから、仕事とかいろいろな面で、ここで時間をつぶさせるのは、ここの上に立つものとしては、不本意極まりないし、私自身そこまでサディストな訳ではない。彼らの中にマゾヒストがいれば、その心配は解消されるわけで。別な意味で問題が浮上するけど。
    今日もそんなどうでもいい思考に集中しながら思う。忠臣の忠心をその身に浴びる代わり映えのしないお見送りは、いい加減退屈だと。
    どこか達観していると、人に言われようが、私だって一人の年頃の乙女ということには変わりない。退屈よりも刺激が欲しい。好奇心こそ我が糧。私のこれからのためにもギブミ〜SHI・GE・KI。
    せめて、使用人の顔ぶれだけでも変わってくれれば、少しは新鮮かもしれない。そこに使用人の名前を覚えるという行為が発生すれば、幾分かは退屈しのぎになる。
    しかし、そうなると毎日使用人が、変っていないと駄目だということになるので却下。それは、私が一度見聞きしたことは、絶対に忘れない『求聞持の能力』に由来する。
    だから、借りに、使用人の顔ぶれが新しくなったとしよう。しかし、私にとっては何百、何千の使用人が並んでいようが、関係ない。彼らが胸に名札を付けてくれさえすれば、見送りが終わった頃には、全員の顔と名前が一致する。勿論二度と忘れることは無い。
    だけどそれは、いつか終わりを迎えてしまう退屈しのぎ。
    傍から見ればうらやましい能力かもしれないが、実際問題こうなってくると、鬱陶しい力かもしれない。それでも、そんな罰当たりなことは、人目では絶対に口にはしないことにしている。
    この能力があるから、幻想郷縁起は作られ、これを作ることは代々続いている稗田家の立派な役目である。だから、私はこの力が、たまに鬱陶しく思えても、不要なものだとは、思ったことが無い。
    さて、今日も散策を始めよう。新しい時代の、新しい幻想郷縁起を作るために。





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